Chocolate≠ノイズ


気が付くと青色を見上げている。たいがいはマリアローズの住む屋上から見渡す空で、ときどきそれは目の色となって映る。
今回の場合は、風船だった。

「ん?どうしたんだい、ボクのマリア」

「僕に話しかけるのはその腐った頭をどうにか修理してからにしてくれる?まず、きみのものじゃないからそのぐらいは考えなよ」

「フフッ、照れなくていいサ、もちろん、理解しているヨ。(仮)、だネ?」

「直らないのはわかってるけどね。要するにもう二度と話しかけないでってことだから」

「じゃあ(仮定)でもいいヨ、何も付いていない状態が望ましいし、ボク達にはぴったりだと思うんだけど」

「最悪。却下、絶対に拒否するから」

主にアジアン頭の可哀そうながくだらないことを話しながら、マリアローズは視線を一方向へ向けていた。

「風船が好きなのかい?」

「勝手に人の見てる方を辿らないでくれないかな」

それに、全然好きじゃないし。
どうやら風船は何かの店―――けばけばしい外観から予想して、おおかた風俗の―――が配っているらしかった。たぶん、風船はメインではなくそれを配る女性の顔見せの要素が大きいのだろう。彼女らの服装はなんとバニー、というやつだ。

「・・・けど、まさかマリアがボクにバニーを・・・いや、ない・・・あれはどうも」

小声で意味不明なことを呟いている気持ち悪い物体へ目を向けると、はっとしたようにやつ(きもい)は胸に手を当てた。

「さすがにボクがバニーはきついと思うヨ?」

「どうしたらそんなきっしょく悪いことを考えられるんだろうね」

呆れてものも言えないとはこういうことなんだろう。言ってるけど。そういう問題じゃないし、だって横に変態がいるのがいけない。そもそもなんでそれが当然みたいな顔をしてストーカーですらなくなっているんだろう。

「でも珍しいネ」

「・・・なにがだよ」

しぶしぶ返事をするとアジアンは平手で張り飛ばしてやりたくなるような笑顔を浮かべた。

「無料で何かを配るなんて、エルデンには吝嗇家が多いから」

「まあそうだね。僕だってそうだし」

「マリアは別サ。キミは何をしていても美しいからネ、その姿も声も!」

「あーそう?もし言葉にお金がかかってたら僕はきみと話したりしないぐらいにはケチなんだけどね」

「・・・無料っていいものだよネ?」

なんで疑問形。

「タダより高いものはないっていうけど」

しかも、ここは無法地帯のエルデンだ。むしろ怪しまないほうが間違っている。はいこれをあげますよと言われて貰った瞬間殴られたっておかしいことはない。そういう場所だ。だから、マリアローズは次の瞬間目にしたものには本気で驚いた。

「はい、お姫様」

アジアンは、傅く従者のような仕草でそれを差し出したのだった。
青い風船。

「へ?」

何のつもりだよと聞くのも阿呆らしい。恰好付けた気色悪い動作はとんでもなく迷惑な話なのだが―――マリアローズにしか向けられない、アジアンの悪癖だ。そして、あいつが僕のためにはどんなことでもするしそれは時々と言わず的外れだったりすることも。だからはっきりと言ってやった。

「いらないんだけど」

「でも、似合うヨ」

「ただの玩具にあうも合わないもないって」

「そうだネ。マリアに似合わないものはないと言うか、むしろ全て君のためにあるようなものだから」

「妄想ご苦労様。そろそろ脳が溶け出してくる季節なのかな?うっざくてさ、きみ」

今度は忠犬さながらに目を輝かせるアジアンがうっとうしくなり目を背け、バニーガール的な何かの立つ辺りを見た。すると幾人かいる女の人達は皆マリアローズのいる方向へ熱の篭った眼で見ていた。いや、違う。アジアンを見つめている。そのうちの一人なんて顔を林檎のように真っ赤に染めて派手な建物に寄りかかっていた。
アジアンはあの女性から風船を受け取ったのか。まあこいつは無駄に整った顔をしてはいる。それは認めざるをえない。そのぶん頭には養分が足りなくなっちゃったみたいだし。

「いいけどね」

疲れる。徒労感に苦笑したマリアローズをどう解釈したものか、アジアンはマリアローズの手に長い指を伸ばした。

「な、」

声を荒げそうになったが、

「はい」

アジアンは妙な行動を起こさず―――いや怒ってもよかったんじゃないかとすぐに思い返したのだけれど―――。



そっといやに冷たい指先が触れ、すぐに離れた。


「フフッ、やっぱり似合うヨ?」

「変な思い込みは止めたほうがいいと思うよ」

「そうかな」

「第一なんで青なんだよ・・・」

とはいっても選択肢は青しかなかったのだから別にあいつが悪い訳ではないのだが。少し顔を俯けてマリアローズは考えた。いや、最初から何も選ばないというパターンもあった。そうだ、アジアンがいけない。言い訳を飲み込みながら不機嫌そうな顔をしていると、アジアンは嬉しそうに違うことを話し出すだけで―――なんでも“風船には何々が入っている”とか“ボクが他の人と話すとマリアローズが嫌そうな顔をするとか、後者は偽造にも程があるので物凄い勢いで否定した―――そのことについては答えなかった。まさか何かに似ているとか、やつの目と同じ色だとか、気づいた訳はないと思うんだけど。なんとなく鏡を見なそうな気がしなくもないし、自分には興味がなさそうだし、あいつ。
指で風船を繋ぐ細い糸を弄びつつ、マリアローズはちろりとアジアンの様子を窺った。
なにやら真剣そうに見えなくもない笑顔と言うよく分からない表情をしている。

「そうして風船なんか持っていると、キミが飛んでいってしまいそうな気がするネ」

「詩人にでもなりたいわけ?たぶん、や、確実に三流以下だと思うよ?」

アジアンが違うよと呟き、拗ねた子供のような口調で首を振った。

「ボクから離れて遠くへ行ってしまいそうというか、気のせいに決まっているけど・・・」

「なんで僕がどこかに行かなくちゃなんないんだよ。こっちとしてはきみがどっか行っちゃえって感じなんだけど」

「・・・そうだネ、今日はそうしようかな」

神妙そうにアジアンが頷いて、早歩きでマリアローズの向いているほうとは逆に進みだした。

「珍しいって言うのはこういうことだよね」

聞こえない程度の声量で言ったつもりだったから、少し離れたところであいつが振り向いたとき―――呆気に取られたマリアローズの視線はアジアンに向いたままだった―――びっくりしてしまった。

「ボクとしたことが、言い忘れてた。ごめんネ、マリア!愛してる!」

言い終わった途端満足げに笑ったアジアンはくるりとマリアローズへ背を向け、足早に去っていった。
からかうような声と疑問げな視線が周囲から消えるのにはある程度時間が必要だった。

「何なんだよ、あいつは・・・」

額に手をあてながら、がくりと肩を落とした。
そしてまだ遠くに見えるどうしようもない黒ずくめ馬鹿の後ろ姿を、マリアローズは恨みがましくじっと見つめた。