「じゃあねー」
どこかふんわりとした雰囲気のあるきみちゃんは今の自分の家である速見家へ、八重さんは部活へと向かいます。荷物の整理を追え、椅子から立ち上がると、後ろの席からやってきたひめひめが私の肩をトントンと叩きました。元気で明るい声。髪をツインテールにした少女、ひめひめです。「硝子、今日は私たちだけだけど、今日もどっか寄って行く?」
「はい。どこへ行きますか?」
「いつもの店でケーキが食べたいなー」
甘えたような声で強請ってくるひめひめ。私はついからかってしまいます。「けれどひめひめ、最近体重が2キロ程増えたと嘆いていましたね。この場合、今ケーキ等を食べるのは非効率ではないでしょうか」
皮肉を述べると、ひめひめの顔が赤くなります。どうやら図星。 それにしても、動作する度に揺れるツインテールが、 愛らしいひめひめをより魅惑的にしていると考えると 私の体温も上昇するのは何故でしょう。「い、いいのよっ、ダイエットは無理してするものでもなし、明日から、今度からっ」
自分に言い聞かせるような口調です。自己暗示なのかもしれません。 そうやってひめひめに意地悪をしていると愉しいのですが、 ずっとそうしていても寄り道する時間がなくなるだけ。 あまり帰りが遅くなってはマスターにも不都合があるでしょうから、 寄った先で話したほうが適切だと判断。 私は会話を切り上げることにします。「ではひめひめ、行きましょう」
いつものお店に行くと、普段よりも大分―――それこそ座れる席が見えない程―――混んでいました。店員が軽く汗をかきながら駆け寄ってきます。「お客様、申し訳ありません、本日は大変混み合っておりまして相席となりますがよろしいでしょうか」
「いいよね、硝子?」
ひめひめが私に可否を問うてきます。小首を傾げる様子は仔犬のよう。「プリンが食べられるのなら何でも構いません、ひめひめが決めてください」
理論で割り切ることのできる私は、出来ればこの店で食べたいと思っていても、他の店では駄目というわけではありません。けれどひめひめがここが良いと言うのなら対面に座る人がどんな性格、容姿をしていようと我慢することにします。「じゃあ、相席で」
店員が安心したように見える営業用と見分けの付かない笑顔を浮かべ、 私たちを先導します。 それなりに広い店内も混雑のせいか狭く感じられ、ひめひめは眉を小さくしかめました。 空いている席が見えないからであろうという推測が可能です。 席は店の隅の四人掛けテーブルでした。私とひめひめは横に並んで座ります。 対面にいる人物の顔は立てて眺めているメニューのせいで確認できません。「あの、座らせていただきますね」
ひめひめが律儀に挨拶をし、私も頭を正確に三十度下げます。ぺこり。 するとメニューに頭を埋めるような姿勢をしていた人物が驚いたように顔を見せました。 その人の顔は―――「え、舞鶴、さん?」
「蜜が何故ここにいるのですか?」
「いちゃいけないわけ?私だってたまには甘いものぐらい食べるわよ」
「だけど、なんでまた舞鶴さんと相席?あ、別に嫌なわけではないんだけど」
「ひめひめ、それは多分店員の気遣いでしょう。同じ制服ですし」
「なんにしろ余計なお世話よ。何で私がこんな奴と・・・ああ苛々する」
恒例、蜜の苛々癖が始まりました。 これは“壊れた万華鏡”の副作用というか、 固定剤となったことによる欠陥なので無視することにします。 蜜にしてもこの癖は挨拶みたいなものでしょう。「そっか。舞鶴さん、一緒に食べよう?」
「・・・ふん」
明確な答えを提示することなく、蜜は再びメニューを見ることに没頭します。 しかし蜜の今の状態は頭隠して尻隠さず、といった風情で間抜けな姿なのですが、 それには気付いていないのでしょうか。 意地悪な私は蜜にその格好のことを教えずに、ひめひめに話しかけます。「ひめひめは何を食べますか」
「そうねえ・・・ねえ、硝子はまたプリン食べるの?」
「ええ。今日は期間限定の“毬栗ハリセンボンプリン”を」
察するに、栗風味のプリンでしょう。 しかしこの店のネーミングセンスは目に余るものがありますね。 過去にも“真っ赤な林檎パイ継母風”、“シオンちゃんのハルマゲドンシフォン”などという名前をつけた前科がありますし。「やっぱり変な名前のデザート・・・硝子はいっつもプリンだね。じゃあ、私も、抹茶プリンにしよー」
「では頼みますか」
「うん、って舞鶴さん、は?」
ひめひめがテーブルの上に広げたメニューから顔を上げて蜜を見ると、 食い入るようにメニューを見つめる蜜がいました。「蜜、大丈夫ですか」
腕を伸ばしてわざとらしくおでこに手のひらをあてます。 勿論熱などはありません。平均体温の範囲内です。 そんな私の仕草に、蜜は私を威嚇、もとい睨んできました。「何触ってんのよ。注文するなら私のも頼んでおいて、人形。“苺パフェ”」
言いたいことだけ言って私の手を振り払い、腕を組んで見るからに偉そうな態度を取ります。どういう意図があるのかは、不明。「了解。店員さん、注文!」
騒がしい場で喋り声と同じボリュームでは聞こえないと思ったのでしょう、 ひめひめは声を張り上げて店員を呼びます。そんな声でも全く耳障りには感じられません。「やっぱり、美味しいね」
プリンを乗せたスプーンを口に含んだひめひめは、まさに至福、という笑顔。 可愛らしい。すでにプリンを食べ終えてしまった私は蜜のほうを向きます。「何?」
蜜にしては意外な行動です。ガラス製容器入りのパフェ。甘いアイスクリーム、ちょこんと乗せられた苺。 その奥の、何が気に入らないのか万人が問いたくなるような不機嫌な顔で糖分摂取する蜜。 何ともミスマッチな光景。 凶悪で美麗な気高い剣士の猫嫌いという女々しい弱点、 自分を人魚と言い張る一人称僕の愛すべき少女の最期にも匹敵しえるでしょう。 ちなみにこれらは、図書館に置いてあったライトノベルより得た情報です。「美味しくないの?」
そんな顔が蜜の主な表情なのですが、それでもひめひめが尋ねると、 苺味のアイスクリームを食べていた蜜の手が止まりました。 すぐには答えず、口に入っている分を咀嚼し終わってから蜜は言葉を吐き出します。「あんただって食べたことあるでしょう。美味しいわよ」
「それならもっと味わって食べるべきでは。その硬い面構えは何とかならないんですか」
私も横槍を入れます。ひめひめに不快な思いをさせるというのなら、いくら蜜でも許しません。 ・・・漫画の台詞を借用したのですが、どうも不釣合いのようですね。 本音を言えば、蜜の食べているパフェの生クリームが美味しそうなのに、 所有者が蜜だったというまあ嫉妬のようなものです。多分。「あんたも同じでしょ。むしろあんたの方が無表情」
「私は蜜のことを言っているのです。それに不機嫌な顔よりは表情が少ない方がマシだと統計的には考えられますが」
「煩いわね。黙らないと殺すわよ」
なにかごちゃごちゃ言っているようですが、 構わずにパフェに乗っているクリームを指に掬って舐めます。 程よい甘みがあり、それでいて上品。 真白な色で柔らかそうな見た目もまたポイント高し。「ちょっと、何してんのよ!」
蜜の悲鳴は黙殺し、クリームを味わいます。 手が少し汚れましたがこのクリームの美味しさにはその程度の損害では敵いません。 ちろりと横目でひめひめの様子を伺うと、不安そうな表情。 それは嫉妬や恋慕など欠片もない、端から見れば喧嘩をしているようにも見える私たちが、 怪我をしたりはしないか心配している友人の目。 少し前ならエラーと判断していた微小な感傷。有機体の部分で感じ取った僅かな悲しみ。 私は自分のスプーンを口に銜えます。 何の意味も無い行為です。それこそ、最近覚えた行動。「急に大人しくなったわね。まだ食べたりないってわけ?」
「まだ食べることは出来ますが、蜜の奢りなら注文しますが?」
「嫌。自分で払いなさい」
むすっとした蜜。口の端に苺ソースが付いています。恥ずかしい子ですね。 笑うわけでもない私と蜜の応対ですから、ひめひめはちょっと戸惑っています。「ひめひめ、すみません。こんな不束な蜜で」
「は、何言ってんのあんた・・・」
蜜は反論しようとしてから、一瞬考え込んで呆れた「硝子、これあげようか?」
ひめひめは私に食べかけの抹茶プリンを差し出してきました。まだ四分の一程残っています。 これは大き目のプリンなので、それでも充分な量です。「いいの・・・ですか?」
「太りたくないしね。いらないの?」
にやり、と意地悪そうに笑うひめひめですが、それが親切だと解かりました。 きっと私のプリン好きを知ってのこと。私は、だからこそそれを受け取ります。 味が移ると不味いでしょ、とスプーンも一緒に渡してくれたのですが、 それは辞退しました。別に友達同士だし大丈夫なのに、というひめひめに私は苦笑しか出来ませんでした。 私にも判りません。こんな、妙な感情が発生する所以が。 口に含むと、抹茶の味が広がります。和洋折衷の素晴らしい味。 蜜がこちらを見ていたので、スプーンに乗せて見せびらかしてやります。貰ったもん勝ちです。「別にそんなもんが欲しいわけじゃないわよ」
「ではどういった廉で蜜に見つめられなければいけないのですか」
「本当、失礼な奴ね。あんた気付いてないんだ」
「無理やり睨む理由をこじつける必要は無いですよ。いつものことなのですから」
「違うわよ。あんた・・・まあ、言わないほうがいいわね」
眉を顰めたまま蜜はひめひめを一瞥し、嫌な笑いを浮かべました。「え、私?」
ひめひめが混乱しています。私は表向き平静を装って、ひめひめに笑いかけます。「ひめひめ、気にしないほうがいいですよ。蜜はこういう奴ですから」
「えと、こういうって?」
「人をからかうのが好き、ということです」
勿論嘘です。蜜は嘘を吐けません。けれど私が蜜の言いたいところを理解できない今は、強制的に話を終始させることしか出来ないのです。「まあ、それでも私はどうでもいいんだけど」
蜜は私の虚構を崩すことなく、ただ嗤いました。「私は、もう帰らせてもらうわ。お金は私の分だけは払っておく」
軽やかに、あくまで煩い店内に巻き込まれることなく、 歩き出してからは私たちの席を振り向くことなく、立ち去っていきました。「舞鶴さんってやっぱ変わってるよね」
「そうでしょうね。特殊な人種といえるでしょう・・・ひめひめ、ご馳走様でした」
蜜と話している時も絶え間なく動いていた私の手と口です。 すでにプリンを食べ終えていました。 ひめひめは、妙なことを言われても動じる素振りを見せていない私にはは、と笑いを零しました。「なんですか?」
「んー、硝子は、硝子なんだなって思って。舞鶴さんになに言われても、冷静だったから」
いえ、私は今とても取り乱しているのですが―――そんなことをひめひめに言うわけもいかず、「私は、そうですね」
と在り来たりで曖昧な返事をしました。 私の食べ終わったプリンよりもひめひめのプリンの方が美味しく感じられた理由は、まだ私には理解できなさそうです。