「私としたことが迂闊でした。今日がそんなにも重要なイベントのあった日だとはという訳で少し遅れましたがどうぞ」
硝子のまくし立てるイベントというのはバレンタインデーだろう。今日は二月十四日。 けれど、小柄な少女が差し出したお菓子は。「・・・何だこれは」
ココアを薄めたような色。 描いた円が下方に向かうにつれて大きくなっていく、甘いお菓子。 それは今日には若干不釣り合いで。「何って、チョコレートプリンですよ。マスターに差し上げますといっているのです」
「いや普通はチョコだろ。プリンではない」
ない、と顔の前で手を振るが、硝子は気にした様子もなく、学校で聞いたばかりの知識を披露する。「最近はマドレーヌやクッキーなどのお菓子も流行っていると聞きました」
初耳だった。元々バレンタインには特別な興味もなく、男である晶は調理雑誌も読まないためだ。 それでもまだ一抹の疑心を消すことは出来ない。プリンを味わいながら、尋ねる。「そう、なのか? 別に、お前が食べたいから、ではないんだよな?」
「私は私の分がありますので」
「作ったのか・・・やっぱりプリンが食べたかっただけか・・・?」
「何をぼそぼそと言っているんですか。文句があれば言えばいいのです。そういう風にしていると母親から金を毟り取って日々を過ごす息子のようになりますよ」
「その比喩は違うだろ」
というかニートのことなのかそれはと突っ込みを入れそうになるが自粛。 聞き入れてもらえない意見を述べるなんて労力の無駄もいいところだ。「ごちゃごちゃ言わないでください。で、マスター、味はどうですか?」
それなりに羞恥心もあるのか、話を切り替えてくる硝子に晶は苦笑する。「美味しいよ。見た目も綺麗だし。しかし、お前は料理上手いよな」
スプーンを銜えながら感心して褒めても、硝子の表情は変わらない。「当然です。ただ分量をレシピ通りに混ぜるだけのことですから。蜜は、まあいわば異次元の生物です」
硝子と晶は過去の惨劇を思い浮かべる。あの殊子が気絶した料理の原材料酷いものだった。二人には、蜜には料理が出来ない、というその当時から変わらない認識がある。「文字通りだな。どっちの意味でも。あれ、あいつにもやるのか?」
「チョコでしたら、一応作ってはありますが、受け取ってもらえるかどうか」
「たぶん受け取るだろうよ。あいつはああ見えて結構良い奴、な気がしてきたし。性格は合わないけどな」
「マスターにしては前向きな見解ですね」
「敵意をむき出しにしてないとき以外、だが」
「その条件では常、いえ蜜に遠慮するとしても、大抵の場合当てはまっていると思いますが」
「気にするな。というか、お前は他の人間にもこれをあげるつもりか?」
「勿論。他に何を贈答するというのですか。バレンタインデーですよ、マスターがチョコを貰えないからって忘れないでください」
「貰ったよ。クラスメイトの何人かに。あと、これはいつもだけど、森町から。なんなら見るか?」
机の横に放置したままだった鞄から数個のチョコを硝子が分析する。「これは・・・本命もありますね。マスターの毒牙に掛かってしまった可哀想な子羊が」
「だから、それは違うだろ」
「私のを入れればまあもてるほうなんでしょうか。残念ながら比較する対象が存在しませんが」
「しなくていい!」
「まあ、義理チョコというものも多いですから。安心してください、平凡な数です、たぶん」
「喜んでいいものなのか・・・」
「私はチョコはマスターと友チョコしかあげませんよ」
硝子は学用鞄から大き目の紙袋を持ち出し、中身を机の上に丁寧に置く。 色とりどりの包み、リボン。中身をより美味に感じさせるような装飾の仕方だ。「全部違う物みたいだな。それとも外装だけか?」
「そうです。そんなに時間がありませんでしたしね。それに、皆同じ物のほうが平等でしょう」
意外に友人は多いのか、それともお返しなのか、晶が大量のチョコを見つめていると、 可愛らしい包装の中に一風変わった、というより絶対に浮いているチョコが。「おい、これって・・・」
「マスター、それは佐伯先生用のチョコですよ。人の物まで食べてはいけません。くだらないジャイアニズムを家庭に持ち込まないでください」
「いらん!僕が言ってるのは、この包みのデザインだ」
エナメルのように妖しく光る黒の紙に包まれた、血色のリボン。「ああ、やはりこういうものはそれぞれに合わせるべきだと思ったのですよ」
「だから、ってなあ・・・。あ、これは理緒か」
いまいち得心できないまま指先が触れていた佐伯ネアへのチョコから手を離し、再び動き始めた指が気に掛かったチョコ。包みが白猫柄。「よく解かりましたね。ちなみにその隣の黄色の包みはきみちゃんのものです。マスターは触らないように。変態がうつりますので」
「そんなものはうつらないし、第一僕は変態じゃない。そういうのを担当するのは殊子だ」
「女の子好きの殊子先輩もたいがいですが、マスターもなかなかにアレだと思います」
「アレって何だ。あ、それと」
食べ終わった、形は変われどもチョコであるプリンの容器を机に放り、口を拭う。 そして、この場に一番相応しいと思う言葉を言った。「ありがと、な」
硝子は頭に着けたリボンを揺らし、多少の動揺を見せた後、まだ未成熟な感情で、はにかんで見せた。「マスターが嬉しいのなら、私も僥倖というものです」
「あ、マスター。チョコのお返しは3倍返しと相場が決まっているそうですよ」
「余計なことは覚えなくて良い・・・」