「―――で、D1にまた行ったのか」
娘は武術を心得ていることもあり活劇などを好む。特にアサイラムへ遊びにくるマリアローズの話は、内容プラス話し手で、大層ベアトリーチェの気を引くものだった。「うん。まだ儲け足りなかったし。でも結局たいしたお金にはならなかったんだけどね」
言葉に反し友人は楽しげだ。「そうか、それは残念だったな」
ベアトリーチェの案じる声色。続くのは控えめに笑うマリアローズ。「うーん?楽しかったしよかったかな」
上機嫌なのが壁越しにも伝わってくるようだった。お茶を飲む音も聞こえて、温かい湯気を想像したモリーは微笑を浮かべてため息をついた。「・・・お前にしては、珍しくないか?」
娘にしたら、複雑な気持ちなのかもしれない。どうせなら実物で見たいわね。人がいたら、きっとベアトリーチェはこんなに問い詰めたりはしないだろうが。「ベアトリーチェって僕がすっごくケチだって思ってるでしょ。や、間違ってないけど。というか今月はもう黒字決定って感じなんだよね。まあ油断はいけないとはいえ」
「そ、そんなことはないぞ!何にしろお前が無事で良かった」
「だね、前までだったら擦り傷どころじゃすまないし」
一人だったら今でも無理だけどね、と苦笑するマリアローズの声に重なるようにがたりと椅子が揺れる音。「怪我したのか!」
「へ?や、ベアトリーチェ、そんな大袈裟な、ほら」
「・・・なら、いいが。無理するなよ?あと、面倒事に巻き込まれるな!」
「君が言うかな、それ・・・」
「同意しろ」
「う、うん、出来る限りはね。というか僕のせいじゃないよね?」
「いや、わからないが、とにかく!お前は怪我をするな!」
まるで躾のなっていない猫を諭すような言い草だが、本当に心配しているのだろう。モリーも内心で同意する。あの子は素っ気無い振りをして、変なところで無茶をするから。そんなところも好ましくはあるのだけど。「・・・それって」
「し、心配しているわけでは、や、心配だな、これは・・・だが友人としては当然のことだからな、そういうことだ」
今度は仁王立ちでもしていそうな声色になった。「うん、ありがと」
答えはすぐに返ってきて、耳を澄ませばごくりと息を呑む音が聞こえてきそうだった。「本当に、素直になったな。お前は」
睨むようにマリアローズを見つめる娘が安易に想像できる。嫉妬に似た感情と不安を入り混ぜた視線。「同僚に聞いたんだが、」少し沈黙ができて、「新しくケーキ屋ができたんだ」発せられたのはベアトリーチェの声だった。どこか固い話し方は昔から変わらないものだが、今は緊張からか声も強ばっている。くす、と思わず笑いかけて、慌てて口を押さえた。
今更なのだが、なんだか盗聴しているようで―――悪気はなくとも状況はそれそのもので―――モリーは目を閉じた。声が耳をすり抜けていく。戸締りをきちんとした廊下には風が吹き込んでこないけれど、温い空気はどこからともなく流れている。ああ春ね、動物達が騒ぎ出す季節ね。いつでもオッケーなのは人間だけじゃないの全く。
お腹が鳴っている音がとても気恥ずかしくて、そんなことを考えていたモリーだった。