風のにおいと影のした

「何見とうの」

声を形作る唇がこちらに向けて開かれたのにスペインは気づき、しかし返したのはうろんげな目つきだった。いつのまにいたんや、斜め前に立ち己の影絵へスペインを招く少女は未発達のかたちの善い肩越しにある子供を隠している。どうも渡せることばは否定的なニュアンスのものしか頭から見つからなく、それもそれやなあと思い困ってしまった。よく喋るほうではあるし、女の子は苦手だと思ったことすらない、しかしベルギーにはおとなの、上司が決めるようなことが関係しているのだけれど親しい間を持たずにきている。関してどうといった感慨もなくいた。今のところ、ちょっと困ってはいるが。
何を感じとったものか、少なくともスペインよりは相手を思えるに違いないベルはむっ、と猫に似た口先をとがらす表情になり、三秒経ったあとしたたかな笑みを頬辺りへ繕った。

「もしかして、うちい、やったりした?」

なんのこっちゃと瞬いたのはスペインの草木が滲む緑をうつした瞳であり、動揺は紙を包んでいた浅黒いたなごころのゆらしたことに顕れた。違うのである、スペインが恍惚と目にしていたのは華奢な撫で肩の向こう、花遊びするエプロンドレスのこども、恥ずかしがって背をみせる姿がいじらしく、また土からひょっくり顔を出す花を見つめる顔は真剣さを帯びていて思わず顔が笑ってしまう。

「冗談や」

「そうか」

ほんの戯れとでも形容すべきものには何も絡まることなく流された。
ベルの耳にはどちらのものでもない多国語がいやにひりひりと障り、木陰に麦藁帽子のシャツすがたでいる横にすとんと腰を下ろして彼女の持つ太陽のような金の髪に通した横顔、少年のはりつかせて溶けゆかない温みのある笑顔を信じられない心持ちでみつめていた。なしてうちはここにいるんやろうか。
南北に、兄と妹という形で道を分かち、片割れは独立して未だ子供のベルギーはここにいるとおり田舎の国へ残った。
決して優しくない、兄とも違う、不公平なひと。
沈黙に耐え兼ねたのはベルのほうで、視線を一度きり向けただけであとはチューリップ畑を、スペインの目になればロマーノを見続けているのだろうか、それは関わりなくここにたたずみ盗っ人のようでおちつかないこともあって、つい口にしたのは過去のどうでも価値がないあやまちであった。

「せや、うち、最初にあれ見たとき球根食べてもうたんよ」

ふとこぼれた音を振り返らず頭で考えた間違いを正せば、盗人、というのはこちらよりも、うちよりもスペインの親分に相応しいたとえかもしれない、というのは自国からひきだされる金のこと、それは下使として仕方のないことと諦めるべきか、なにかと不自由な生活のことか、とあとからベルギーは納得する。目につくのはこの国とまた違った対応を受けるこどもが間近でこの場所に慣らされていて、さながら親子か兄弟か、もしか恋人のように甘やかして接する男を見ているからか知れなかった。決して誰のものともいえぬ己の心ながらわかるのはベルギーにとってスペインがどうにも離れがたいものだということ、しかし南の美しい都をうつすスペインにすぐ傍のベルは遠く思えているに違いないことだった。
陰陽の派手な空と土と草、その影が作る眩い視界。

「食べた?」

ロマーノはスペインのいるところから少し離れたがって、商人から贈られたチューリップの咲く赤土の辺りにしゃがみ込んでいる。性別ゆえの無頓着か、スペインが与えた衣服は足に巻き込まれて白や緑を鈍い色にしている。思うに無意識だろう、ロマーノにとって他人の、特に今は懐いているのを意地を張りながらも隠しきれないでいるスペインのものであったものは大切にしようとする、不器用だからきちんとできはしなくとも、むしろ幼子のいじらしさに情すら抱くのだった。この距離だって、チューリップ畑はそのすがたを改良するために場所を変えたものや品種違いでいくつか広い庭にあるのに、わざわざスペインに知らせて今耕している畑にちかい日中の居場所を定めた。菓子を持って来させるためだと言い切るロマーノの本音くらいなら、鈍くとも読み取れた。
いっしょにいたいんやろ?
なんにしろ口にしなければいいのだと後悔するのが言葉にした途端、が常だけれど、せざるをえないのは、喜色満面のスペインをみなもに映せばうげえと気持ち悪くなるような感情のかたまりをロマーノに持っているからだ。わかっているのか、いないだろう、ロマーノは顔を赤くして怒るだけ、わずかも心を自らは明かさずにすこしだけ困ったようになる。
アセイトゥナの木の下、隣の少女と他愛ないせりふを交わし、スペインが見ているのは揃いの麦藁帽子で日光を防ぎ、その少年のように弱い花を観察しおそるおそる指を伸ばし、花弁の柔らかいなかを覗く子供だけであった。
チューリップは貴重で、高価、それも王侯貴族が頂くような品種を届けたのは南からきた肌の黒い男だった。なんでも、見た目がどうとかで食べ物と勘違いしたもの、種子を買うために破産した商人すらいるのだと、スペインは誰かから聞いた。同じ話をベルギーもしているのか、どうだか。
今では金のない身、暮らしが狭いのも、ロマーノに満足なことをしてやれないのもここから北に住む眉毛の太い男が因をなしているのだが、立ち向かう力はない。そのような中での貢物がチューリップであり、相手は女の子ではないから不安だったが、スペインが渡した花をロマーノは大相気に入り、赤い花弁は裾を開いてみせた。さきの杞憂は、ようく考えればいらなかった、観賞用のトマトすら育ててみせた子なのだから、それは愛らしい花を咲かせるチューリップはロマーノのお気に召すに違いなかった。
もしスペインが育てるようだったら早々に枯らしたろう。野菜は別として、繊細さを要し、また高値がつくだけで食用にはならない花には関心がなかった。必要ならほかに任せれば善い。見る分にはいいのだが、それに、ロマーノにはよく似合う、と思うのだが。

「ほや、けど、研究にはなったってゆうとったけ。うちのほかにもおっさんが食べとった。偉い先生が、やで」

「学者さんか、俺には真似できないなあ。トマトもロマーノが食べてたけど、酸っぱいらしいなあ」

「トマトもチューリップも食べもんやないのにな、じゃがいもみたいに死ぬわけやないみたいでもなあ」

「そんでな!食べたあと涙目になってんのに、言わんの。でも、顔でわかるん」

「あ、うん、親分だから、なん?」

「せやなあ・・・ロマーノはわかりやすいっていうのもあるからな」

「なに、言うとんの」

小さく、聞こえないぐらいの疑り深い声の色と量に、よもや気づかないだろうと思いながら托したほんとうの感情は、その通り、鈍いスペインにはその一葉も読みとられず、実を生している木の彼方のひかりか、てらてら輝く若草にすいこまれてしまった。
だいじにされたわけでもないのに、一緒にいた兄のこと。寂しいのか?問いかける胸の内に住まうのは無数のひとか、今のベルギーはおのれの足でたってはいない。いつか、一人でいられればいいのか、国としてはそれを望んでいる。

「スペイン!」

ふいの声にまばたきすると、スローモーションでこどもが駆けてくるのを目に入れた。なぜ女物の衣服を身につけているのか、こわくて尋ねたことはないけれど、今ひとつわかった、長いスカートの下にはズボンを履いていた。せめてもの抵抗かもしれないが、そのきっかいな格好はよほど裾を掲げなければ気づかれず、とするとロマーノはもしかしたらあるがままとして認めたのかもしれない。その姿が相応しいものだとして、ある種の押し付けを。へへ、とおおよそ上品とはいいがたい声を上げて笑いつつ、見守るとロマーノの手から男がちいさなものを拾い上げた、花びらか、見てとる前にスペインはこどもを抱えあげた。寂しかったんとちゃうの、あんた、そう口をつぐんでも、思う。帰る準備してーと言われて手にするものは昼ごはんのパンを包んでいたクロースしかなく物足りなく指先でつまみ髪に結んでしまった。
スペインはといえば、チューリップのこと、それとは関係ないことを、四方山話をしている。

「お前がさぼってる間にできてたんだ、奥の方に生えてたぞ、赤いやつ、ほら」

「へー気づかんかったわ、何株もあったん?」

「いや、まだちょっとしかなかったんだ、どうなんだよ、これ」

「新種やなー偉いわ」

「あったりまえだぞ、俺だってできるんだ・・・で、儲かるか?」

「うんうん、大丈夫や」

だから、帰ろうな。差し伸べられた手を何の躊躇いなく受けて、ロマーノは抱えあげられた。まだ昼下がりだが、シエスタという奴のためか、毎日この時間には邸に戻る、ベルギーはそれに従うだけだ。このときも変わらず、一瞥してついてこいと示すスペインの背中を、ベルギーは視界の真ん中に据えた。初めて会ったのより大きくなった体つき、汗のにおいがする。片腕には収穫した野菜と手入れされた鋤を、左腕にはオリーブ色の目をとろんとさせた子供を。
これが彼のだいじなものか。ベルギーは日焼けしてきたように思える細腕の、前に突き出しかけたのに気づき、白い布地を指先にはさんだ。

「明日も、良いことあるとええなあ」

2009-08-07