「何見とうの」
声を形作る唇がこちらに向けて開かれたのにスペインは気づき、しかし返したのはうろんげな目つきだった。いつのまにいたんや、斜め前に立ち己の影絵へスペインを招く少女は未発達のかたちの善い肩越しにある子供を隠している。どうも渡せることばは否定的なニュアンスのものしか頭から見つからなく、それもそれやなあと思い困ってしまった。よく喋るほうではあるし、女の子は苦手だと思ったことすらない、しかしベルギーにはおとなの、上司が決めるようなことが関係しているのだけれど親しい間を持たずにきている。関してどうといった感慨もなくいた。今のところ、ちょっと困ってはいるが。「もしかして、うちい、やったりした?」
なんのこっちゃと瞬いたのはスペインの草木が滲む緑をうつした瞳であり、動揺は紙を包んでいた浅黒いたなごころのゆらしたことに顕れた。違うのである、スペインが恍惚と目にしていたのは華奢な撫で肩の向こう、花遊びするエプロンドレスのこども、恥ずかしがって背をみせる姿がいじらしく、また土からひょっくり顔を出す花を見つめる顔は真剣さを帯びていて思わず顔が笑ってしまう。「冗談や」
「そうか」
ほんの戯れとでも形容すべきものには何も絡まることなく流された。「せや、うち、最初にあれ見たとき球根食べてもうたんよ」
ふとこぼれた音を振り返らず頭で考えた間違いを正せば、盗人、というのはこちらよりも、うちよりもスペインの親分に相応しいたとえかもしれない、というのは自国からひきだされる金のこと、それは下使として仕方のないことと諦めるべきか、なにかと不自由な生活のことか、とあとからベルギーは納得する。目につくのはこの国とまた違った対応を受けるこどもが間近でこの場所に慣らされていて、さながら親子か兄弟か、もしか恋人のように甘やかして接する男を見ているからか知れなかった。決して誰のものともいえぬ己の心ながらわかるのはベルギーにとってスペインがどうにも離れがたいものだということ、しかし南の美しい都をうつすスペインにすぐ傍のベルは遠く思えているに違いないことだった。「食べた?」
ロマーノはスペインのいるところから少し離れたがって、商人から贈られたチューリップの咲く赤土の辺りにしゃがみ込んでいる。性別ゆえの無頓着か、スペインが与えた衣服は足に巻き込まれて白や緑を鈍い色にしている。思うに無意識だろう、ロマーノにとって他人の、特に今は懐いているのを意地を張りながらも隠しきれないでいるスペインのものであったものは大切にしようとする、不器用だからきちんとできはしなくとも、むしろ幼子のいじらしさに情すら抱くのだった。この距離だって、チューリップ畑はそのすがたを改良するために場所を変えたものや品種違いでいくつか広い庭にあるのに、わざわざスペインに知らせて今耕している畑にちかい日中の居場所を定めた。菓子を持って来させるためだと言い切るロマーノの本音くらいなら、鈍くとも読み取れた。「ほや、けど、研究にはなったってゆうとったけ。うちのほかにもおっさんが食べとった。偉い先生が、やで」
「学者さんか、俺には真似できないなあ。トマトもロマーノが食べてたけど、酸っぱいらしいなあ」
「トマトもチューリップも食べもんやないのにな、じゃがいもみたいに死ぬわけやないみたいでもなあ」
「そんでな!食べたあと涙目になってんのに、言わんの。でも、顔でわかるん」
「あ、うん、親分だから、なん?」
「せやなあ・・・ロマーノはわかりやすいっていうのもあるからな」
「なに、言うとんの」
小さく、聞こえないぐらいの疑り深い声の色と量に、よもや気づかないだろうと思いながら托したほんとうの感情は、その通り、鈍いスペインにはその一葉も読みとられず、実を生している木の彼方のひかりか、てらてら輝く若草にすいこまれてしまった。「スペイン!」
ふいの声にまばたきすると、スローモーションでこどもが駆けてくるのを目に入れた。なぜ女物の衣服を身につけているのか、こわくて尋ねたことはないけれど、今ひとつわかった、長いスカートの下にはズボンを履いていた。せめてもの抵抗かもしれないが、そのきっかいな格好はよほど裾を掲げなければ気づかれず、とするとロマーノはもしかしたらあるがままとして認めたのかもしれない。その姿が相応しいものだとして、ある種の押し付けを。へへ、とおおよそ上品とはいいがたい声を上げて笑いつつ、見守るとロマーノの手から男がちいさなものを拾い上げた、花びらか、見てとる前にスペインはこどもを抱えあげた。寂しかったんとちゃうの、あんた、そう口をつぐんでも、思う。帰る準備してーと言われて手にするものは昼ごはんのパンを包んでいたクロースしかなく物足りなく指先でつまみ髪に結んでしまった。「お前がさぼってる間にできてたんだ、奥の方に生えてたぞ、赤いやつ、ほら」
「へー気づかんかったわ、何株もあったん?」
「いや、まだちょっとしかなかったんだ、どうなんだよ、これ」
「新種やなー偉いわ」
「あったりまえだぞ、俺だってできるんだ・・・で、儲かるか?」
「うんうん、大丈夫や」
だから、帰ろうな。差し伸べられた手を何の躊躇いなく受けて、ロマーノは抱えあげられた。まだ昼下がりだが、シエスタという奴のためか、毎日この時間には邸に戻る、ベルギーはそれに従うだけだ。このときも変わらず、一瞥してついてこいと示すスペインの背中を、ベルギーは視界の真ん中に据えた。初めて会ったのより大きくなった体つき、汗のにおいがする。片腕には収穫した野菜と手入れされた鋤を、左腕にはオリーブ色の目をとろんとさせた子供を。「明日も、良いことあるとええなあ」
2009-08-07