いぢらしい子

空を砕くような大きな音、と思って騒音の先を辿れば胸に触れた。少々ボリュームを持ちすぎたのが未発達の身体に不相応で違和感のあるその、奥で、人のように音を立てている場所。

「ベル?」

とく、と強く撥ねたタイミングの意味する感情にベルギーが俯いていると、スペインは振り返り訝しげに、こちらを覗き込んできた。

「驚いたやろ、」

と笑って言う男の顔には微塵も後悔がない、只大仰に周囲を見渡した。あるのはオリーブばかりの、田舎の景色だ。山の稜線は高い空に滲むばかりか先にも連なり、広がりを見せる。スペインはその気候に象徴されている存在であるからに、まるで自然の王さまのように映った。総てを得る力も蓄えられているような。
女の細腕に抱え込んだトマトを取り落としそうになってぎゅっと力を込めた。けれどつぶれないように優しく。ぼう、と鈍くなった思考の中にもそれだけは商いが芯に染みたベルギーにある。おそろしいばかりの暖かな緑の瞳。

「やって、そんな、あんた・・・素振りもなかった」

あ、あ、あれも、と頭では浮かんでくる仕草に好意が含まれていたのかと検証していけばきりがなく、人でないから忘れはしなくとも、なにせよ時間が長い。もう何年、何百年なのか、考えていると混乱する。

「怒っとるん?顔真っ赤や、ふーん、やっぱりベルギーはかわええなあ」

「からかわんといて、いま、あたまいっぱいなんやから」

「嘘やって思てる?そないなことないで、ほんま、ほんま。な、聞いとるかな」

やめてほしい、甘みを噛み締めるつもりではないのに、ベルギーは唇をはんだ。顔を背けたまま瞬きする。どく、どく。動悸が静まらないのが怖い。身体が全部熱いのも変で、また嫌なのが、嫌ではないこと。
スペインのからかう声。軽口がきらきらと砕いた伽藍が落ちていくように、胸へ響く。

「好きやで、ベルギー、ベルちゃんって呼んでもええなあ」

本当は、いとしげないから、怖いんやろか。 年頃の娘になら所謂プロポーズ、とも聞こえる何かを言い渡され、ベルギーは顔を赤くし、ドレスの布地に指を遣ったまま親指と人差し指で丸を作った。指はその腹に当たる、間に挟む布地のすべらかさからごつごつした指により引き離され、それでふたりのそれを絡めて邸に帰った。強く握られたためにたなごころが少々痛く、これからはこうして歩くのが普通になるのか、と気恥ずかしくなった。そして思ったとおり、また月の満ち欠けが一通り過ぎた頃には同じ部屋で過ごすことも多くなった。疲れきった日などは、さんにんのものであった部屋に帰ってから同じベッドで寝ることもある。このごろはロマーノが育ち、照れて一緒に眠らなくなっているため、ふたりで話をして、為事をこなしていく。ときおり手伝うし、稀だが失敗を庇ってもらう。不便は少なくとも、ベルギーにはない。しかしスペインはどうなのか、見た目に相応しい知識だけを持っていては国をやっていけない。男の人が好きなもの、欲しいもの。誰から聞いたわけでなく(たぶん、勝手に覚えていたはずだけれどもしかしたら教えられたのかもしれない。考えると一寸だけ怖くなる)知っている。読みかけの本を膝に、肩口には手をおいて、自らのその肉の柔らかさを実感し、これに思いを馳せる。そもそも与えていいものかとまず怪しむ心がある。例えばスペインは手伝いの子に声をかけることも珍しくなく、それは前の航海から屋敷に雇い入れた子であったり、街のパン屋にて働いていた女だったり、また別の某、というときもあった。たびたび人を介して報告される外泊はあのこと一緒にいるのでは、と思うこともある。しかし経験のない身体に見分ける目は備わっていない。けれど、一度もそのことをしていないというのは、ないとベルギーは考えている。だったらスペインの身軽な異性との会話は、自信は、昔は彼女にも向けられた過度のふれあいは何だ。責めてはいない、ただ不安だ。 スペインと合わせた肌は、手のひらだけ。他の女の人がいてもいい、どうせ妻とは違うものだし、彼の国としての性質を分かっている。割にふたりとも、ドライなほうだ。しかしベルギーだって欲しいものくらいある。それはどのようなものでもいい、幾度か貰った感情のこもる声でもいい。もっと多く、と我侭に、隠れて望む。わかってくれ、と思うのは鈍いスペインには酷か。だって、こちらからはどうもできない。



また、あくる日のこと。部屋に戻ったベルギーの視線の先で、背の高い男は横になっていた。

「なあ、そういやチュロス、昨日作ったやろ。食うか?」

絨毯の上に寝そべったスペインの脇に立つと、言われた。ふん、と首を大きく縦に振る。

「やったら、ちょいと待ってな」

ベルギーを見上げてきた。

「なんやの?」

スカートを捲られる、という酷いセクハラを動じず受け止め、当然のように長い布地に阻まれた部分を覗き込むふりをするスペインを強く見つめると、目をそらされてしまった。

「つまらんわ」

フランスの言う冗談の類を真似できる口ではないし、かといって生真面目とは違う。だからそのていどの返し方しかない、女にこれ以上を望むべきでないのは、スペインだってわかっているのではないか。国民の媒体という身でも、性に相応しい礼儀を身につけている。ベルギーはすとん、と申し訳なさそうに膝を抱えて、傍に腰をおろした。

「なあなあ、はよう」

「・・・せやなあ、ちょいまち。今これ読んどるから、もうちょいー。俺が作ったチュロスは、めっさ上手いでー」

だったらもう少ししてから言い出せばいいのに、ベルギーには男の考えがいまいち読めないが、きっとふと思ったから口にしたのだろう。わりと素直で口が軽い。けれど底無しに明るい海、というのか、妙に浅深のあるようにも見える。片目を細めてそれを思う。視線をスペインの背骨に向け、その真直ぐな部分を目でなぞった。

「うん、知っとるよ、いつも食べとるからなあ。クリームがついてるともっといいな」

「さりげなくハードル上げんといてえ!」

「やって美味しいもんが食べたい」

「時間かかるし、親分が疲れるやろー、まあ、ええけどなあー?」

「まあ、ほれはほれ、や。期待しとるで」

「あれ、ちゅうことは、お前、俺よりチュロスがいいってことなん?なあー」

「ほういうことやね」

言い切るとスペインはうっと呻り、菓子を取りに部屋をでた。誰が本当などと思うだろう、ベルギーの顔は否定の本心をまったく繕えないでいるのに、認識できないのだ。鈍感、あんたはそればっかり、わかってないわ、馬鹿。ぶつぶつと言葉になりきらない声に振り向く背中はない。

「なんや、ふん、意気地なし」

瀟洒な飾りのついた、低い位置にある丸窓の先にはオリーブの実がいくつも落ちていて、ベルギーは少し嫌になった。
















ふうん、へーそうなん、と和やかに返していると同伴する少女の顔がぱっと明るくなる。可愛いとは思うが、その世間話の内容は既に頭から消えていた。新大陸の探索という題目で行われた西周りの航路から帰った六月で、女はスペインの家に一番近い街の分限者に仕える婢だ。小綺麗な顔立ちに目を惹かれ、元の主人から年季をなしにしてもらい宿泊につきあわせ、今はこちらに雇うつもりで連れている。金髪に、与えたスカーフを飾らせたらブルジョアジーの末娘のような雰囲気を得た。勝ち気そうな表情に重なるのは家に置いたこどもふたりだとは、スペイン自身が気付かないでいる。ところで空っぽの会話を続けるのはスペインではない。晴れ渡った青天井には千切れたレースのような雲がばら撒かれ、そのはしっこに映るスペインが被った雄鳥の羽が風になびいている。身体にまとわりついた塩の匂い。美しさに目を細めて笑んだ。一方的に話してくれるなら繋ぐだけで良い、笑顔を浮かべていれば滞りないし、ふたりとも楽しい。

(それで、ロマーノちゃんが)

声のなか、唐突に混じった名前へ耳を寄せた。

「んん?どしたん」

(スペインさんのシャツ抱えて寝てしまっていて・・・何かと思えば、涎掛けがわりだったんですよ。昼間だったし、眠くて、そこらにあったものを選んだって)

「くぁわえええぇなぁ、なんや、俺のっていうのが、ええなあー、男のロマンやー見たかったわー」

(恥ずかしそうにいじけていたんですが、ベルギーが添い寝して、収まったんです)

「ほー、ふーん、やっぱ、ええ子やんなあ」

想像すると口に唾液が溜まり、ごくりと飲み込む。たぶん、ふたりはそのままシエスタしたことだろう。二枚分の、エプロンドレスの柔らかな布地を絨毯がわりとし、安らかに眠る瞼、あどけなくつむった薄桜の唇、猫の毛に通じる太陽と大地の色をした、くせっ毛、それをまもるのは日だまり。



歩いているうちに邸に近づき、そこを囲むようにある林にベルギーが混じっているのが分かった。長いスカートの青い裾がわずかに揺れているから、歩いているのか。風は凪いでいる。こちらから手を振るが気づかない。大きく振っても駄目であったから、不服そうに頬を膨らまし、少々早足になった。少女はいつの間にかいなくなっていた。

「帰ったでー!」

背後から抱えると柔らかさが腕に伝わる。正直しんどいのは我慢で、少々下心を出してのひらを伸ばす。
ついエプロンが飾る鎖骨の下の、大き目の膨らみに五指を沈めたとたん、

「ああもう、なんやの!」

ベルギーが厚い布越しの足が脛を蹴ってきた。

「うぶっ」

「あんた、スペイン、遠いとこ行くいうてたのに、帰ったの」

スペインから距離を取って胸元で手を組んだベルギーの足元にはロマーノがいた。遠くから見えなかったのはどうやら切り株の背後にいた所為らしい。抱えあげると今度は額に頭突きを食らった。痛いけれど、それほどでもなく、腕で包んだままにする。

「てめ、離せよ、つーか遅せえ!一ヶ月ぐらいで帰るっつってた、だろっ」

「んー忙しくてなあ、あ、寂しかったんやろー勘弁してな」

「それで、終わったの?」

ベルギーが見上げている。

「まあ、ええ感じ?しばらく船は見たないわ」

「ほらなあ、長旅やもんなあ、はよもんて養生しい」

「お前らは?」

「もうちいっとここにおるよ。今、新しい花探しとるん。ええにおいがするやろ」

「そーなんか。なら、親分も残るでー暇やし」

「・・・疲れとるんや、ないの」

「せやけど、ひとりでおってもつまらんしなあ、それに陸についてから港で休んだからなあ、平気やで!」

「ホンマかいな。けど、邸なら皆、おるよ?話し相手なら女の子も、おっさんも―――」

「ええの、ええの」

彼女がこんなにも気にするのはスペインの国力についてのことだろうが、今のところそういう心配はない。満ちている感じがする。気遣いを持ち、優しく接するベルギーが嬉しく、やっと慣れてくれたのだろうかと思えば少々スキンシップも増え、相手が異性であるためなお愛おしくなる。ロマーノに対する感情と違うのは、大事にしたいというよりは自らのものにしたい、という欲の差かも知れない。欲しいものは勝ち取るという意思が働きそのことを直接に告げたがベルギーは沈黙したままだ。しかし○、だろう。

「そんで、ロマーノ、なんか見っけたん?」

腕の中であがくのをやめたロマーノの手元を覗けば草か何かがあった。

「今、探してんだろうが、ほら、こういうのとか、珍しい形してるだろ」

桃色の星みたいな花。黄色い、ひらひらの多い花。

「ふうん、ようわからんけど、どうしたん?お前が働くなんて、」二度目の頭突き。「うひゃ!」

「うっせえ!」

「もー・・・なんやの、痛いわ・・・」

涙目で下に目線をおいていると心配そうなベルギーがいた。指先がぴくり、ひく、と動くが、腕を伸ばすまでには至らない。舌先は回るがわりと奥手で、容易に触れてきたりはしない。なんでやろ、と思うが礼儀だとかそういう言葉はスペインには浮かばず、軽口を叩いた。

「なあ、誰か慰めてくれへんの?ほらな、撫でてくれたり―――なんて、な!」

「な、なにばかなこと、言うてっ。ロマーノのなんか痛くないやろ、男なんやから我慢しい!」

「ええー男って我慢せないけんの?なんでもー?」

「ほうほう、ほうなん!」

「そっかなあ」

なんとなく意地悪な気分になり、スペインはベルギーの肩に顎を乗せた。

「ひゃ!?」

「な、なんだよ、おい」

ロマーノが板ばさみになり暴れ、それがくすぐったいらしくベルギーが涙声になって訴えた。

「や、やあ、やめっ」

「えーいややーこれ、楽しいわー」

「うひゃ、こら、あほっ」

ぽふぽふと顎で肩を突いて話していても一向に会話は進まない。

「今日の夕飯はなんやろかー」

「え、ひゃひゃ、ちょ、ちょとま、」

このような調子で、ベルギーはくすぐったがって声を上げ、ロマーノは諦めたのか黙っている。しかし、ベルギーの声はなんかやらしいなあ、と面白くなって動かずにいると妙な空気になり、それを意に返さないロマーノの「あきた、帰んぞ」という言葉に救われた。今日はご馳走にしてやろう。
















手に息を吹きかける。鼻先が赤くなっているだろうことを想像しそのままの手で口の辺りを覆い、スペインに近寄った。

「どないな、感じやの?」

「あんま燃えへんなあ、炭が悪いのかもしれんけど・・・さっぶう」

広大な庭に薪を起こそうとしたのはロマーノとスペインらしい。詳しく言えば、発起人はスペインで、それを不服そうな顔でやらせたのが、ロマーノ。冷えだした朝におどろいた閃きだと思うが、火の粉のころもはゆらゆらと揺れるだけだ。ぴゅうぴゅうという風の音。初秋に合う袖の長い衣服にさらに腰布、上衣を重ねたベルギーは少し温かいが、ずっと外にいて、土に尻をつくスペインの身体は震えているようにも見える。庭石に腰を下ろしかけて、止めた。同じ体勢、火に向かって膝を抱える。男の脇には拾い集めたのかエニシダの枝が積み重なっている。ちろり、とつり目でとらえたのは男が振り回したりしてステッキのように扱っている一振りだった。今はかたくなった地面にがりがりと前衛的なイラストを刻んでいる。それをベルギーは望んだ。

「ほら、貸して。熾しちゃる」

「すまんなあ」

「じじむさいから止めといて、ほないな言い草」

枝を抛りこむ。火がぱちり、と熱を帯びていく。

「ふう」

秋だ、と感じるのは互いの白い息で、コートの前をきっちりとしめずにいる男の釦に手を伸ばしたくなるのも、気の迷いだ。そのような礼儀のなっていない触れ方をしたくない。ああ、しかし冬という季節がそうさせるとでも言うのか、しかし何度繰り返してもそうはならなかったのに、と悔しいような心持。人恋しい。

「ふん」

よい加減に火が背を伸ばした。

「やるなあ、ベルギーは。親分よりうまいわ」

「比較の対象がイマイチやなあ、けど、ありがと」

妙な想像力があるから、きっとベルギーの内心を読みとってしまったのだ。すす、と身を寄せてきたスペインの重さを除けはせず、ただ手のひらをうつ伏せに翳す。次第に熱を持つ指先ではなく、横目をとめたのはベルギーを鷹揚に見つめるスペインの瞳に反影する赤い日だまりだった。人が持つ心みたいなものを、人のように冷えていても芯だけは死ぬまで温かな身体が包んでいて、スペインはどちらともをこちらに傾けている。

「なあ、もう南の方では雨が降りよるよ、こっちでもそろそろ、冬やな」

「ほうや、ね、今年はお金あるから、みんなでコート、新しいのあつらえよ、どう?」

「ええなあー俺は赤なー」

「好きやなあ、その色。うちはみどり、かな」

「なんでも、似合うで、ベルギーはかわええから、それに色っぽく足を出すとかどうなん?」

「・・・んん」

肯定も否定も出来ない。本意を言えば絶対に嫌だけれど、スペインがそれを望むなら、と少しぐらいは譲歩したい気もある。どちらにせよスペインにとっては軽口に過ぎないから答えないでもいい。黙ると、何も言いはしなかった。鼻歌を歌っている。陽気なうたが風に巻かれて声量を減らす。

「ロマーノ、どなしたん?いないの?」

どうしようもなくて、気になってもいないことを聞いた。

「屋敷に帰っとるよ、寒いから、病気なったら大変やろ?ベルギーは知らんかな、あいつ来た頃はみょーな病が流行っとったんやで、で、戻りいゆーたら、ちゃんと聞いてくれてなあ」

「ふうん、いい子やん」

本当は知っている。そもそもベルギーがここにいるのはさっき外から帰ったロマーノが廊下を歩くのにすれ違って話を聞いたからだ。曰く、スペインが待ってる。もしかしたらあのませた子供は気づいているのか。思って耳を赤くしたままたくさん頭を撫でるといちいちめんどくせーんだよ!と返された。

「な、珍しいわ、でも、大人になったっちゅーこと、やんなあ」

先程の事もあって同意しかけ、話す相手の寂しそうな顔に返答を変えてしまった。

「ほないなこと、ないよ。さいぜんも、転んどったし、せやったらあいつが菓子の食べすぎで腹壊したりとか、迷子になったりとか、泣いたりとか、ないやろ?」

「ん」

納得したように目を一度大きく開き、またまどろむ猫の目の細め方をし、「ベルギーは大人の女の子やなー」と言った。

「どないな意味や、それ。まだぴっちぴちの、」反論しかけた口を「こういうこと」塞がれ、一瞬の夢のように気づいたらまたスペインはこちらを目で射った。

「あ、」


なんやろ、いまの。熱かった。頬に飛ぶちいさな火の粉がそうであるように、火のようだったかもしれない。やっぱり嫌じゃなかった。受け入れてしまっている自分に気づいて顔を薪のほうに戻した。こういうこと、そうか、なんでもないのかもしれない。身を軽んじるのではなく、少しだけ人のように生きる。スペインが言いたいこととは違うだろうが、きっと、大人の女の子になってもいいのだ。

「あくしょうな、やりかたや」

「嫌そうに見えないもんなあ、ええんちゃう」

「ふうん」

「ここんところはもう風が吹いとる、皆、くしゃみしとるし・・・これからは冷えるで」

さりげなく視線を向けると、スペインは空を見つめていた。薄い、色のないような天上がひやりとする大気を遣す。思わず似たように目を細めていると見返される。

「ベルギー、寒いならもっとこっち寄りい」

からからと笑う男を「いやや」と憎らしげに見てから、そこにある感情を読み取り顔を和ませる。幸せそうではないか。

「見られたら、どない、しよ」

「何の話や」

とぼけた顔はしかし嘘を言うのではなく、気にしないつもりなのだろう。ベルギーには理解しきれない頭のつくりが、今はすごく恋しい。ぽす、髪を肩口にうずめると、起毛の布地がこそばゆい。あ、あ、そういえば答え、いつか告げられたものの返事を伝えていないと思い、しかし言いはしなかった。代わりに誰にも聞こえないように唇をすぼめた。

「むねが、はしかい」

肩をぎゅっと抱かれる。

「けど、今年の冬はあったかやな」

「なにそれ、・・・ん」

長い睫毛で瞳を隠し、すがりついた肩は、暖かかった。もうすぐ冬なのに、最後に一度、熱風が吹くのやも知れない。

2009-09-28