郷愁と空腹

斧槍を湿った地面に突き立て自らもその横に腰を下ろすとおもむろにスペインは顎を掻いた。

「やっぱ向いてへんのや、こういうんはなぁ・・・」

だったらどういうんのがお前に出来んのや、と問われると反論が思い付かないのだが。
そもそもスペインを取り囲むように落ちている元は遠い土地の衣服であった布切れだとかもう使えそうにない短剣や赤を吸い込んで色を変えた土が意味するのは業務終了というやつでありよく出来ました、だ。さほど遠くはない昔、こういう場所には嬉々として踏み入れたものだが自分の中で何が変わったのやら―――得られるのは沼に足を突っ込んだときのような不快感ばかりだ。何年ぶりかの労働に、身体すらどうにも勝手が利かない。思い出すのはパエリアの作り方だとか、チュロスの星型が浮かぶばかり。つまりどうでもいいことかもしれない。こうやって怠惰に時間を浪費するのと同じていど、現実逃避だ。仕方あらへん、どこのどいつがそう言うんやろ。だから、休憩や。




「次はいつ帰ってくんだよ」

おい、と出がけに衣服の裾を強く引っ張られた。その手の持ち主は意地を張ってそっぽを向いているのだが、鈍感なスペインでさえ気づくほどに震えていた。

「んー、早くて・・・一年ってとこやろか」

「なげえぞ」

「おっ、ロマーノ、寂しいんか?」

「ちげえ、その間の俺のメシはどうすんだよって話だろ!」

「可愛ないなー・・・」

うるせえ!と足を叩く力は弱い。そう、弱くて、だらし無くて、ほんま駄目な奴―――それだけでないことは、スペインがきっと一番わかってやれている。
なーんにも、出来ひん。
あるのは爺さんの遺産ぐらいだと、他は何もかも劣っているのだと。
あいつがそう自分を卑下するように、俺は、あいつにしてやれることを、考えなあかん。

「まあ、そうやなー」

ふとにまにまと笑ったスペインをロマーノが潤んだ目で見上げて、

「な、なんだよ、きもいぞちくしょーが」

「すぐ帰ってくるさかい、したらな、んー・・・お前の好きなもん作ったる」

すん、と鼻を啜った音がやけに響いてきた。建物に、ではないかもしれない。もしかしたら、スペインだけに。

「そんなの、いつもと同じじゃねーかよ、ちくしょー」

それを肯定してしまうのはどうだろう。呆れた根性だ。かといって他に約束してやれることもない。この関係は何なのだろう。親分と言ったところで威張れるのは立場ゆえで、だから何々するなどとの必要性すら本当はないのだ。放っておいても、ひどく扱っても、まる。曖昧過ぎないだろうか。それとも当たり前か。センチメンタルやわあ、俺にしては。この血なまぐささが遠くから漂う空気の成せる業か。

「おい、スペイン」

「ん?ああ、ごめん、ごめんなーちょっとぼうっとしとった」

「・・・ぼけっとしてんじゃねえよ」

こんなときに、とがりがり、何の音かと思えばロマーノのちいさな手がこちらの足を掻いていた。よくもまあこんな音が出るもので。感心するとどうじに手を握って離させる。片手ではトマトすら抱えられなさそうな大きさだ。

「ちょっと、痛いで?」

説教まがいの口調で覗き込むと顔面に頭突き。不意打ちだったせいでいつもよりずきずきする。これも暫くはされ収め、というかどうか。死ぬわけでないし、とお返しのように頭を一度はたいてやり、「ほら、おまじないしたるから、大人しくしときー?」しだいに三角巾ごとぐりぐりと押してやる。

「忘れんなよーふそそそそ、やでー。魔法の呪文とちゃうから、すぐには来てやれんけど」

「いやねーよっ、何の役にもたたねえぞそれ、効き目ねーし」

ほら、さっさと行けよ。 耳元に口を寄せるようにして呟かれた声。あ、もう無理かも知れん。思った瞬間ロマーノの顔を隠すようにてのひらで覆った。やっぱり小さいから、それで、大粒の涙がこぼれた瞳も、きつく結んだくちびるも、赤くなった鼻も顔も見えなくなった。

「大丈夫か?」

あえて平然と。やっぱりこの子供でも恥ずかしいだろうから。

「・・・ふん」

誤魔化すような言葉に満たない破片を舌にのせ、ロマーノは手に顔をすり寄せた。こうやっているときはすごく可愛く感じられるものだけれど。
早く、行け。
頷いて、離された手の下にある顔を見る。とたん俯いた、その耳の赤さに笑ってしまいそうになる。トマトみたいやなあ。

「んじゃあ、ほな、またなぁー」

身を翻し、いつもどおりに歩を進める。鼻をかむ音、ごしごしと布地に顔をこすり付ける音。耳を塞ぐわけでもなく、それは辛くないということではないが、ただ手ぇ洗いたくないわあと思った。すっかり赤くなった夏のような体温を、手から消し去るのは惜しかった。




ところですでに家を出て二年が経っている。どう弁解をすべきだろうか、こればかりはスペインのせいではないはずだ。それに、ロマーノにとってその程度の年数はなんでもないはずだ。なにせ相手も国なのだ。感覚と言うものを深く理解している訳ではないが、生まれたばかりの子供が言葉を話せるまでに育つその時間を、こちらでは何も変わらない。身長は伸びたか?否、変わり映えのない。だから、ロマーノにも、きっと何もない。そうでなくてはいやだ。親分が、子分の成長に立ち会えないなんてそんな阿呆なことあらへん。ないわー、やって親分やし。依るところは結局のところ、未だそれだけだ。あ、そうか、だから帰らなあかんのや、色々、増やしていかんと。ロマーノだって今頃、ひとりきりの畑で夢中になってトマトの栽培でもしているのだ。

「待ってろなぁ」

我ながら弱々しいと思わざるをえない声が染みていくのは、異国の深い森だった。

2009-05-11