ヒマワリと劣情

※生温いですが西ベル要素(R-15程度)が含まれます。






広い円周を描いて並ぶ山吹の花びらがくるくるとまわっていく。幻覚と疑ったがそれは次第に風のしわざとわかった。目に塵が入ったのに顔を顰めると、長身の少女がこちらをみて勝気に笑った。猫に似ている。そういったら彼女はふん、と鼻を鳴らして誰かにそっくりだと思い瞬きしたら子供の顔が目の前にあった。
そよそよ。風は陽光を帯びた出窓からのもので、花びらに感じ取っていたのは似ても似つかないロマーノの焦げ茶色をした頭髪であった。

「起きろ、馬鹿スペイン、飯作れ!」

「・・・んー」

すっきりしない頭だ。振り落とさないようにロマーノを片腕に抱え(離せ!と煩いが怪我はさせたくないもので)半身を起こすと女中が扉に控えていてスペインは手招きした。寝巻きとなっている衣服の長い袖が揺れる。この土地にしては白い肌を認めつつ女中のその指から渡されたものを確認すると、上司からの小言が走り書きされた書類だった。内容に目を通すと、町に出かけるはずだった今日は勿論のこと、明後日までかかるかもしれない、というものだった。

「げ」

その声はどちらのものであったか、ロマーノとスペインは間抜けに口を少し開け、同じように唇をとがらせた。

「今日は遊ぶゆうたのになー堪忍なあ」

近頃は懐いてきた腕の中の子供に顎を乗せる。夢の中と変わらない仕草が目下に見えた。そういえば最初に眠った目に映ったのはベルギーであった。もう一人の子分。利口な彼女のことだからきっともう畑にでも出ているのだろう。瘤の多いオリーブの木陰に鋤を抱えて朝食を口にする姿が浮かぶようだった。ベルの作ったオリーブはパンにかけると癖はあるのに口通りよく、農業といったらトマトの研究ばかりしているロマーノにも好まれていた。しかし、まだがきのくせに女性を追いかけるロマーノにとってベルはそういった対象にならないらしい。どちらかと言えば懐いていない。
例えば、スペインがベルギーとオレンジ片手に軽口を叩いていると必ず間に入り、あまつさえスペインのぶんの果物まで齧って偉そうに胸を張るというようなことは、もう幾度あったか知れない。

「まずはメシだろーが」

「あー、ポーラスでええ?もうお昼近いやん」

「スペインが寝坊したんだぞ、あと、ホットチョコレートとチュロスもつけろ」

「お前食いすぎや・・・」

「うるせえ!トマトは取ってきてやるぞ」

「おおきに、かなあ、ロマーノあれ酸っぱくてしょーもないわ」

「今日のは、たぶん、うまい」

顎を軽く突かれて、ロマーノは玄関へかけていった。庭のさほど遠くない場所をロマーノの畑として与えている。スペインのそれは標準的な作物とオレンジで埋まり、ベルギーのは好みで変わりもするが大方はハーブ、野菜などで、しかしロマーノが植えたのはお土産として遣った赤い実であった。何を思ったのかそれを口にしだしたときは驚きでついロマーノに詰め寄ってしまった。逆に口へ押しこまれた実はひどく舌を刺激した苦い思い出がある。そして今でも諦めない子供は、畑一面を真っ赤に染めてしまった。まるでバレンシアの夕日だと思うこともあるが、それは、だが不味いのだった。
女中に指示してから厨房に向かうその背へついていき、国だからか酷使してもさして荒れていない己の手のひらと女中の冬から治り切らない皸を見比べつつその調理を手伝った。鼻歌を歌いながらの気紛れだったが、どうも喜ばれた。悪い気はしない、十代半ばの女中はなかなかに可愛い顔をしていたので感激の意を示し頬に口付けしてやると挨拶の気軽さだったスペインの意に反し彼女は頬を赤くした。これは、と思いつつ気になったのはロマーノのことだった。ほな、と気もそぞろに、今のことなどもうすでに意識の外にあるスペインはロマーノが戻ってくるだろう部屋へ帰った。こうして鈍さは無意味に人の気を濁らすことをスペインは知らない。口ずさむのはスペインお気に入りのナポリ民謡だ。あーまた出かけたいわーちゅうかピッツァ食いたい。きっとロマも喜ぶやろうし、夕飯はイタリア料理にしたろか。

「戻ったぞ!」

「おー大量やん。なにそれ、お前全部食べられるん?」

「知らねえ、けど残ったらスペインに遣るぞ、俺は偉いからな」

褒めろ、といわんばかりに寄ってきた小さな体の脇に手を差し入れ、隣に座らせてやる。少し脚の長い椅子で、ロマーノの特等席だった。頭を撫でると満更ではないようだ、籠いっぱいのトマトをどん、と樫のテーブルに置いた。

「ほんまこいつ勝手しやる、もんてくる思ったらオリーブの葉っぱ取って嗅ぎよる」

後からやってきたベルギーはスペインの向かいに座った。衣服には土があちこちついている。何となく見てしまった頬の辺りにかかる金糸のような髪を見ると、表情には苦み混じりの笑みが浮かんだ。

「あかんの?」

「まあ、ええけど、あんまたくさんとられると困るんよ、オレンジやって風邪ひくやろ」

「そやなあーこら、ロマーノだめやでー?」

話題の中心であったのに我関せずの子供は口周りを透き通る赤色の果汁で汚していた。指で拭いてやり、その指をスペインは自身の顔に近付けた。濃い匂いがする。

「お前も食べんのか」

悪いと思ってはいるのか、ロマーノはロマーノなりの遣り方、トマトを差し出すことによりその意を示した。ベルギーとスペインは目を合わせ、苦笑いで受け取る。女らしさを既に具えた柔らかそうな唇が植物の薄い皮に触れ、白い歯が実に刺さるとじわり、汁が滲む―――

「あんない」

「黙って食え、俺が作ったんだ」

「やったらあんたひとりで食べたらええ」

「ふん」

「まあ、おおきに」

スペインがぼうっとしているのに気付いたロマーノがごす、と頭をぶつけて来た。頭髪の色が少なからず影響するのか、見た目に丈夫そうなロマーノの頭は、なかなかどうして石頭で、

「いたっ」

と瞳を揺らしたスペインを、ベルはチュロスを口先で咥えながら面白そうに見ていた。





夜遅くまで起きている習慣が付いたのはこのごろだ。もう子供ではない、という主張だったのかもしれない。意識してはいないが、気丈そうに長い廊下を歩くロマーノの足は、すぐ先にある曲がり角で留まった。建築に間違いがあったのか、間諜への対策だとも思えるが、その部屋はどう扉を閉めてもわずかに覗ける隙間がある。書庫でもあり、倉庫でもある人の住まない部屋であった。しかし、すでに寝静まったこの館で白い灯りは廊下にさして太くない線を伸ばしていた。何かあったら大騒ぎになっているはずだから危ないことはないのだが、よく聞く童話が念頭にあったのか思わず摺り足忍び足、床にへばりつくようにしてその灯りの方へ身を寄せると、まず声が聞こえた。

「あ、あ、」

高い、それでいて掠れ気味の低さを含んでいる。ロマーノは知りもしない言葉だが、どこか淫猥で背徳的だ。そして、心臓が撥ねる音とその響くような声を胸の内で綯交ぜに聞きつつ光の中を見た。
肌色。
印象といえばそれだった。二人分の裸。色と体つきで、その持ち主はすぐにわかった。スペインとベルギーだ。まだ青年に成りきらないスペインの日焼けした腕とその体は、さして変わらない背の少女を抱え込んでいた。声を上げているのは、ベルギーだった。スペインも荒い息を上げつつ、女の耳のそばで何事かを呟いているように見えた。
ずいぶんとしっかり観察できるのは彼らがさして部屋の奥の奥にいる訳でなく、むしろ無用心にも扉から覗けば見えるところで交合しているからであった。明らかにどこかから持ち出してきたとわかる時期はずれの絨毯の上がベッドの代わりだった。狭くはないそれは、ところどころがオリーブを垂らしたように毛を固めている。
ロマーノには彼らの行為の名前すらわからなかったものの、その足は散歩を中途にして廊下を引き返した。
荒い息が、ロマーノの唇からも零れた。それはスペインらが吐き出したような甘美な意味を持つものではなく、単なる焦りから滲んだ疲労と急な駆け足によるものに過ぎなかった。





朝になったのを瞼を開けて確認する。 不機嫌に頬を膨らまし、ロマーノはベッドを降りた。昨日は散々な夜だった。不愉快さが身の内から戻ってくる。まだ朝は早いのは窓を見ればわかるから、同じく寝起きの早いベルギーのところへ行こうと思った。昨夜の、正しい時間で言えばすでに今日であった真夜中のできごとを問いただす気でいたのだ。
スペインの部屋を通り過ぎ、広い邸内を巡って、息を呑む。ロマーノが掴んだドアノブは軽々と向こう側へと道を広げた。
ベルギーはベッドの上で虚空を見つめていた。その瞳には何が映っている訳でもなく、しかし無為に呆けていたのではないらしい。彼女のふわふわとした髪と濃い緑の瞳は咲き誇る向日葵を連想させた。考え事をしていたのがわかるような澄んだ目を、ロマーノに向けてきた。シャツ一枚。状況の不可解さがロマーノの苛立ちをさらに撫ぜ、ベルギーは猫の口許のように少し上がり気味の口角を笑わせた。

「朝早くに、ちょかして。なしたの?」

「昨日の夜!」

大きな声に、ではなくその言葉に驚いたようだった。

「ベル」

名前を呼ぶと、慌てたようにベルギーはベッドから足を滑らせた。太股が丸見えだった。行儀や作法、そういったものに一切意識を持たないロマーノでも呆れるような無様な転び方だった。そこにある無数の、ロマーノには瘢痕に見えた痕についても、(虫刺されかよ、こいつ寝相悪すぎるだろ)と子供なりの解釈をしてずぼらな女もいたものだと怒りも薄れた。
ベルギーは、おそるおそる、滅多にないことにこちらを見上げて表情を見守っている。
根に持たない性では決してないが、どうもこのことについては深く触れる気が起きなかった。ただ、暇なロマーノにとって娯楽でもある散歩を中断させられたことについては文句があったため、

「今日はお前が俺を町に連れてけ」

「へ、スペインは?」

「仕事だっつってたぞ、聞いてないのか」

「ん、何も言っておらへん・・・だんない、付いてったる!」

うん!、と急に元気そうな様子になり、伸びをしたベルギーの、髪で隠されていた首筋にも、ロマーノは傷痕を認めたのだった。

2009-06-14