「あれ、なんなん?」
「いらんもん」
「ええとなあ、俺が内職したやつや」
「会議中に作ってた、あれ?」
記憶にあるそのことはいつだか、鞄に詰めてもってきていた造花。スペインが頷いた。「そ、そ。あんときは金なくてなー皆のためを思うて、やで?話もちゃんと聞いとったもんー」
「ああやってほっぽらかしとんの、ええのん?」
「おとついの夜に三本作ったんやけど、それっきりやんなあ」
事もなげにスペインは言った。昔は万事がきゅうきゅうだったものだが(最もそれはベルギーの間近にあった時代のスペインで、遡ればまた違う姿があるのも知ってはいる)、ずいぶんとゆとりが生まれたものだ。そういえば、と思い出されたのは数年前で、EUに加盟したスペインはなぜか自家用ジェットを購入した。その後に使い道ができたとは聞いていない。納屋のこやしか。どうせ楽をしたがらないのだから、まあ、いらないものだったろうな、と思う。スペインは金遣いが荒い。「やめちゃったの?」
ベルギーは頬杖をついた。スペインの丸い顎がよく見える。それに、丸くて緑色の瞳。少々、童顔気味だか、やたらな言動のせいか、体つきもしっかりしているからあんまり幼くは見えない。損な様子を見つつ、もごもごと、唇を動かす。「んーまあ、必要ないしなあ」
と、のんびりと返した。長い指がベルギーの目の前にあったグラスを挟み、とくとくとワインを注いだ。薄っすらと明るい色の液体、前にいた来訪者の置き土産だというが、飲むと甘かった。「貧乏時代、長かったわーうまいもん食えんし、きれーなねーちゃんもー寄ってこんし、振られたで!」
「あんたはうちに見向きもしなかったもんねえ」
にんまりと笑って確信的に上目遣い。ベルギーには向いていないに違いないが、こうしたところで反応を示さない男が目の前にいるから、ついつい意地になる。一体何年越しの素振りなのだろう、数えていない長さを、スペインは軽がる並行して受け流す。「え〜?一緒にトマト栽培したり、したやん」
ほら、ほらほら。「ほーや、ねえーわかっとらんわあ。周り見てないっちゅうかなあ、馬鹿にしとるわけやないで?ほうやなくてな、もうちいっと、身近なものに目を向けて欲しい、と思っとう、な、なんて、な!」
「まわりぃ?昔の話やろーんーせやなあ、べあとりす?」
「・・・女」
「や、周りゆうたら、で、あんくらいの時期なら、あの子やで。覚えとるか、よく庭掃除してくれとった」
「あんたのつきあってたオンナの話なんて、聞いとらんし・・・・・・子分のこと、は?色々あったやん?」
たとえばうちが兄さんと喧嘩したこととか、お金貸したこととか、さよならしたこととか、うちのことやけど。そうは聞けないのでどうしても遠回りになる。時代に受身であったベルギーは、だからか自分でも少し意気地なしだと思っている。女のことだって、かつてはたくさんいた手伝いの人の噂話から、それとなく察していた。どうやら手が早くて、暑苦しくて、“情熱的”だというスペインの様子も。子分として扱われた二人にはそんな一面が全く(スペインの少々逸脱した親馬鹿っぷり、及び子供に対する可愛がりようは除いて)なかったけれど、彼女らが体験談や噂を皿洗いしながら姦しく話すのを、ベルギーはさりげなく聞き取っていた。憧れても、いたのかもしれない。他に同じ年配の異性がいなかったからだとは、思えないぐらいに。「ロマーノには悪かったなあとは思てるで?」
生活を切り詰めてベルギーが差し出したもの、ことは、綺麗さっぱりなかったことにしているらしい、別にいい、恩に着せる気は全くない。「あんたらしいわ」
ベルギーは苦笑に破顔し、手元のチュロスを口にした。手の平の指から付け根くらいまでの、短く切られた菓子は、星型の切り口を晒している。甘いものが好きなのはスペインだけれど、“かわええ”ものはベルギーも、好きだ。あとお金も。かじるとシナモンの香りが強く、チョコレートとはまた異なった甘みと芳香。ふっ、とスペインに目をやるとなんの気まぐれか、大量生産品らしい均一な作り物の薔薇をくるくると指の腹で回している。ダンボールから出したのか。「フランスのやつにあげたら喜んどった」
「ほんまぁ?あいつが何に使うんやろ、確かにきれーやけど、な。あ、棘までついとるー触っても痛くない!」
「ゴムかなんかやろ、それな、ボンドでつけるんやで!フランスにな!」
「はあ、なんやようわからんけど、あいつはまだ女装でもしとるん」
「いや、股につけよって・・・」
「聞きたくないわ・・・」
相変わらず、と区切って、ベルギーは犬歯で菓子をちぎる。咀嚼していたらフランスの性癖が頭に浮かんだ。「尻、とか、触られたんとちゃう?」
「ええ〜?覚えとらんって、そないな細かいこと」
「あっ、ほうかい、あんたはホンマに、鈍感や」
「そんなことないで?」
よくわからないがとりあえず、といった返事だ。スペインは手中の薔薇を傾けた。「おっ!よう似合っとるで〜末は女王さまっちゅう感じやな!美人さんやで」
手放しに褒めるのがどこまで本気なのやら。それでも嬉しく、頬が赤らん赤らんでしまう。照れくさそうに笑っている耳に入ってきたのはベルを鳴らす音、数秒ののち、靴底のカン、カンと何回か響く。途端に男はテーブルへうつ伏せた。「あれ、客やないの?」
珍しいこともあるもんや、といつもは行動の早いスペインの怠ける姿を見つつ尋ねる。「ん〜だるいわ・・・まあ大事ないやろ!もう夜中や、仕事なわけあらへんー」
「仕事やったらどうするんや」
「やって、今の時代、電話っつー便利なもんがあるんや、ふそっとな」
とりだした機器を確認したがなにもなかったらしい。「大丈夫やな〜」
「誰が来たか、知っとるんやな?」
「あーたぶん、あいつや、あれ、うっとしいのん・・・イギリスや」
「へえ、なんでなん?仕事か」
「よう知らん、なんや、最近こんくらいの時間に来よるんやけどな、殴ったろう思てドア開けるやろ?したら帰りくさっとる。んでちいとしてまた来て、今度は外にいよったけど、親分のこと罵倒して逃げ寄った、なあなあ、ひどいと思わへん〜?」
「・・・へえ」
あああいつもだったんか、と、手にコルクをみっつほど握る。フランスによると上等な酒はすでにベルギーの体内を温めていた。椅子から立つ。カーテンを掻き分け、がらりと窓の桟を持ち上げれば星が数えられるほどのしけた夜闇。澄んでいるものの正体の見えないそよ風と一緒に庭へ視線を向かわせる。屋敷までの道沿いにてんてんと燈すランプに照らされたのは輝かない金糸。見上げている。そうとはしらなかった、あいつも妙な執着をしたものだ。こんちくしょうのイギリス、と口内で呟いて左手を外へ掲げた。「どないしたん?」
振り返るとスペインが眠くもないのに腕枕でテーブルに伏せていた。柔和そうな顔だけはこちらをうつす。あくまで、見た目だけの穏和か、結局ベルギーには判断つかないでいる。確かに鈍い、人の気持ちなんて知りもせず軽々笑ってみせる、しかし忘れられないでいるのは幾百か前の年、船旅を終えたスペインの衣服についた赤茶けた染みだったり、たびたび頬を腫らした休息日。しらんがな、笑ってみせるとスペインは「ふんふん」
と脳天気に頷いた。「涼しいなあ、あー寝てまいそうや」
「もう、止めてな?うち困るわ、ほないな、酔っ払いの世話なんか」
それは本当に、いやだ。もしスペインがこの場で眠ればベルギーはどうすればいいのだか、まさか添い寝するわけにはいかないのだ。子供じゃあるまいし、ベルギーの記憶でスペインとそんなことをしたのは一度きりだ。川の字というらしいとスペインは言っていた。ロマーノを挟んで三人。懐かしいな。「よっと」
ぱしっと空にいでたそれを掴む。そうとう頑張って動いた自分の身体が面白い。赤い薔薇だったからだったりするのか、どうやらベルギーには必要なものだったみたいだ。他人事のように思う。「ほな、おいとましようかな。これ以上いたらあんたの世話せんといかんからなあ」
「あ、帰るん?」
そう、スペインが酔っ払って眠ってしまうより先に帰れば何ら問題はない。泊まるのが嫌だと言うのは、間違いの起こるのが恐ろしいとかそういった女の子らしい怯えを持ったわけではなくて、むしろ逆の、スペインが何もしない、とわかっているから辛いのだ。別に色情狂ではないけれど。スペインから得ようと思うほど傲慢ではないけれど。なるようになれ、もし今、スペインに腕を搦め捕られたとしたら振り払う術を持たないベルギーについてはとっくに認めている。要するに、自分らしくやや受身の、恋心ではなかろうか。「ええって!思ったより長居してもうたしなあ、きっと待ってる子がいるんやろ?」
「あ、知っとったんか」
ばかやろー。真似して言ってみたかったが、ベルギーは女である。慎みを持つべきだという自前の論をここでも捨てられず(なにしろそんじょそこらの娘とは年季が違う)おしとやかに去ることにした。客間に残ったスペインを、部屋から出て振り返り、そちらに向かい一度瞬きして、隣室を覗き込んだ。「んんー?」
何で二人の席に出てこなかったのかというと、想像するに、ロマーノは泊り込んでいたのだろう。ベッドシーツが膨らんでいる。隠れたふりに違いない。シエスタの時間はとっくに過ぎている。しかも、テーブルには一つもトマトがなくなっていた。お化けさんやんなあ。「ほな!」
「おう!」
スペインの声が聞こえるとシーツを纏ったお化けがびくりと飛び跳ねた。かわええ、かわええ。スペインがうわ言みたいに繰り返すその言葉を横で聞くのはたいがいベルギーの仕事だった。今もか。諦められたら楽だが、後ろを向くとあるのは蓄積した感情だ。かわいい、かわいい・・・口の中で恋慕を示していたベルギーにスペインは一度たりとも気づきはしないのだ。2009-09-14