Sola

「わー兄ちゃんかっこいー」

「ふん」

当たり前だろうがと言う代わりに鼻を鳴らすと「ヴェー」と奇妙な笑い声を向けられた。ヴェネチアーノ相手に限ってまさか上手いこと丸め込まれたのではないだろうが、褒められたというのに眉を顰めてしまう。
今日はちょっとした会議だから、兄弟共にスーツ姿であった。鏡に映してもきちんと決まっている、と思う。ぴょんとたった癖毛もいつも通りだ。

「当たり前だろーが」

下手な結びのネクタイを直してやり、行くぞ、そう言って寝室の部屋を開ける。からっとした陽気な風が開け放しておいた窓から流れていた。つけっぱなしだったテレビではオリンピックのニュース放送、さながら宇宙飛行士のような選手が映っている。ちらりと鳩時計に目を遣って確認すると、まだ時間は少しならあった。「うわ、忘れてた」背後で弟が「ちっ、何やってんだ、あいつ・・・もう出かけるってのに」と右往左往しているのを聞き流し、背凭れに上着をかけソファに座る。

「あ、フェンシング?いい感じだね、メダル取れるかな!」

がしゃがしゃと音がすると思えば弟が耳元で皿を拭いていた。台所には他にも幾枚か食器があるに違いない。それらが使用されたのは一刻前の朝食だが、もう出かけるというのに放っといたらしい。何でやっとかないんだと言いたいところだが、知りながらも放置した自分が注意できることでもない。いらいらとしつつロマーノはしっしと手を振った。

「あっち行け!泡がつくだろうが馬鹿!」

「大丈夫だよーこれもう洗った奴だし、ほら!」

皿を振ると若干の水滴をロマーノの頬に飛ばしながら日の光を浴びた皿がきらりと輝いた。軽く舌打ちして、また視線をテレビに返す。

「じゃあいいぞ」

「兄ちゃん・・・」

勝手な兄だが、もう既に試合へ目を釘付けにしている姿は子供っぽく、何となく手伝ってとは言う気が起きず、ヴェネチアーノは朝方兄が歯磨きをしながら口ずさんでいたカンツォーネを真似、台所へ戻った。

「Che bella cosa una giornata di sole,」

「お、頑張れよ、そこ入るだろ!」「違え、まだだ!」

「Il sole mio!」

「コノヤロー何してんだっ」

僅かに聞こえてくる実況よりも声量のある文句はいつもよりも機嫌がいい。もちろん、端から見たらただ怒鳴っているようにしか見えない。兄はそういう、口調の悪いところで損をしているのだろうことはヴェネチアーノにもわかる。が、別に分かる人だけが知っていればいいとも思う。“兄ちゃんは格好いいから、似合わなくもない”のだ。






「あー負けた!」

結局全て自分で拭いた食器類を元の位置に戻して居間へ戻ると兄があっという間の試合の勝敗を大声で話して上着を着なおした。競技は水泳へと移り変わっている。それを目にしてすぐにぱちんと画面が黒になって、兄の手からリモコンが投げ出された。

「まあ次があるよ」

「勝負ってのは一回一回が大事なんだぞチクショウが」

「でも兄ちゃんっていうより俺ら、喧嘩得意じゃないよねー」

「うるせー!!」

そのまま玄関まで半ばかけるように直行するロマーノを追いかける。

「さっさと行くぞ!」

靴を履いて振り返るとヴェネチアーノが革靴で苦戦していた。

「だったら紐の無い奴を履けっての」

「でも色男はアルマーニとか着こなさなくちゃいけないんだよ、」「これアルマーニじゃねーぞ」「うんー」

えへへーと指にすっかり絡んだ靴紐に苦笑ともなぜか満足そうにも取れる声をこぼす弟からそれを奪い取り、若干斜めになってはいるが形にしてやる。

「間に合わなくなったらお前のせいだかんな!」

「うんーわかった!」

「なにがだよ!この馬鹿弟」

人通りのさほど多くない路を通り、兄弟なじみの花屋を店主の親父に軽く挨拶して通り過ぎ、可愛い子には目配せと時々軟派。全体的に赤みを帯びた屋根が落す影は明るい光と対比して濃い。その下に入ると背後のヴェネチアーノはいつの間にか店先でアイスを見つめていた。

「おい、ヴェネチアーノ何やってんだ」

「あ、兄ちゃんーアイス食べたくない?」

「時間ねーんだよ、そりゃあ、食いたいけどよ・・・」

「じゃあおじさん!スパニョーラとペスカと、チョッコラートとバーチョのやつねー」

お金を払い終えてから早口にそういって、ヴェネチアーノは待ちきれないとでも言うようにその場で小さく足踏みした。

「あーもう知らねー遅れたらお前がアイス食べたからって言ってやる」

「兄ちゃん絶対それ遅刻しなくても言うでしょ」

「いいだろ別に」

「でも、兄ちゃんと二人だけでジェラートとか食べるの久しぶりだね!」

「それはお前が日本だのじゃがいも野郎だの連れてくるからだろ、何が友達だよ」

「スペイン兄ちゃんはー?よく来るじゃん」

「あ、あいつはいいんだ、貧乏だから俺が食わせてやってるだけなんだぞ」

「へー兄ちゃん偉い」

「ああ、そ、そうだ、俺は偉いんだぞ!」

ロマーノは受け取ったジェラートを食べる振りしてそっぽを向いたが、その顔は赤く染まっていた。
二人がどういう関係にあるのか位は聞き及んでいるヴェネチアーノにはわかりやすい表情をによによと見守りながら、さりげなく高い位置にある公衆時計を見上げる。時間だ、と思いながら、そして兄が気付いているのかどうかは別として、ああ怒られちゃうなーと目をアイスへ伏せた。まあ、いいや。

「兄ちゃん、俺、忘れ物しちゃった!」

言い出した言葉に兄が本気で怒り出すまで、あと二秒。今日も太陽は暖かい。

2009-05-11